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ホワイトエナメル フリンジ ブローチフランス 1860年頃 このブローチでは、独創的なデザイン、アラベスク文様の中央の円盤の装飾、鎖をデコレーションとして用いている点にムーア(北アフリカ)人のジュエリー影響が感じられます。 異文化の様式を取り込んでいますが全く忠実な複製ではなく、ヨーロッパ人が好むデザインを作る為のインスピレーションにしています。 |
ベルベル人のネックレス カバイル族 アルジェリア 20世紀初頭 銀、珊瑚、クロワゾネ・エナメル。 大英博物館蔵 ムーア(北アフリカ)人のジュエリーの影響フランスがアルジェリアに侵攻したのをきっかけとして、人々はムーア人の文化に眼を向け始めました。 フリンジやアラベスク、アルジェリアン・ノットなどがフランスのジュエリーに取り入れられました。
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この時代の美術はロマン主義ですが、ジュエリーの分野では傍流として、古代のジュエリーを再現した「考古学的ジュエリー」があります。
古代や異文化に眼がいくようになるのは、時代に対応した新しいデザインが支配階層から要請されていたからなのです。 ジョージアン、アーリー・ヴィクトリアンに素晴らしい金細工のあったイングランドでは、特に高い技術を維持していたフランスに比べると、この時期から手仕事の分野で停滞が目立ってきました。 世界で最初にクリスマスカードを作った発明家・政治家のヘンリー・コールは、彼がアルバート公より任された美術館のために、わざわざイギリスのひどいデザインの物品(壁紙や調度品)を購入して、「間違ったデザインの原理」 False Principles of Design という展示をした程です。真面目な論文のような命名にイギリス人らしい強烈な皮肉と危機感が垣間見えます。 その後、エトルスカン・ジュエリーなどの金細工を作成して見せることでイギリスの職人も名誉を回復することとなりますが、この時代のイギリスと比べてもフランスのこの時期のゴールドジュエリーの水準の高さが解ります。 |
【できごと】1814-1830 ブルボン王政復古 1830 シャルル10世 アルジェリア侵略。 1840-1850 フランスのジュエリーにフリンジや飾りのチェーンが表れる。 1852 ナポレオンV世即位。フランス第二帝政(〜1870)。 1860 アルジェリアの民族運動家 アブデルカーデルがレジオン・ド・ヌール勲章を受ける。 1861 ロンドン万博でカステラーニが好評を博す。
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『フランスとイスラム文化の融合』
フランス 1860年頃 |
中央のエレガントなアラベスク文様のホワイトエナメルは、シャンルヴェという技法で、ゴールドのベースを彫ってホワイトエナメルを入れているのです。 ホワイトエナメルの外側のマットゴールドの部分は、無数の小さな点をタガネで打った、日本の金工の魚子と似た技法で、大変な手間を要する細工です。 |
このブローチには、美しいルビーがふんだんに使われていますが、すべてルビーだけで他の石が使われていないのは珍しいことです。 中央部の円形にセットされたルビーは、エドワーディアンから登場するカリブレカット・ルビーの原点のようにも思えるもので、このブローチが如何に良い作りの物であるかを物語っています。 |
ゴールドフリンジは見るからにしなやかさを感じさせますが、それも高度な技術で特別に作られた物だからです。 |
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