ニエロの歴史
Gen&Jun Katagiri

ニエロはラテン語で「黒い」という意味の単語が語源となっていて、日本語で黒金とも呼ばれ、銀、銅、硫黄、鉛などの合金を金や銀を彫った溝に流し込み、熱して定着させる細工。
その比率は一定しない。

地金を彫ってそこに定着させる所は、シャンルベ・エナメルに似ているが、シャンルベ・エナメルはガラス釉を使うため融点が高く、より難しい。
ダマスカス象嵌とは、固まった金属を叩いて埋め込む所が異なる。

ニエロはいつどのように始まったのかは解っていない。
エジプト第18王朝で発見された物が一番古いということぐらいである。
それはニエロかどうか解っていないのだが、金属質でありガラス質ではないという。

その後、ギリシア文明でもニエロ使われたと思われるが、ローマに入ってからニエロの使用が拡大する。
プリニウスは「博物誌」で、銀3、硫黄2、銅1の割合で作ると書いている。

ビザンツ帝国はそれを継承し、東欧に伝わっていると考えられる。
ニエロは東欧〜東洋のイメージが強いが、中世には西欧でも多く使われている。

アングロ・サクソンはリングにはエナメルを使っていないが、ニエロを使って素晴らしい細工を残しており、しかもそれが歴史上非常に重要な遺物になっている。

ミケーネ 短剣 ニエロ
ミケーネ文明の遺跡で発見された短剣。
見事にゴールドにニエロを施している。
ミケーネ 短剣 ニエロ

同じくミケーネ文明の遺跡で発見された短剣。金、銀、ニエロ細工で人物と動物を描いている。

アングロサクソン エゼルウルフ リング

ウェセックス王で、アルフレッド大王の父エゼルウルフの指輪。
金にニエロを施している。
中央の生命の木を挟んで二羽の孔雀が描かれている。
キリスト教のシンボルである。
荷馬車の轍から発見されたという。(大英博物館蔵)

イギリス AD. 828-858
金、ニエロ
• 直径: 2.8 センチ
• 高さ: 3センチ
• 重さ: 18g
アングロサクソン エゼルスイス リング

アルフレッド大王の妹、エゼルスイスのリング。
ベゼルには四葉のクローバーが描かれていて、その中央に羊、両脇にAとDの文字。(Agnes Dei、アニュエス・デュイ=神の子羊)

この二つのリングは、王族にちなんだ物で名前が彫られているのだが、それは所有を表すものではなく、当時の慣例から忠実な家臣に褒美として与えられた物であると考えられている。

(大英博物館蔵)

イギリス AD 853-874 (推定)
金、ニエロ
• 直径: 2.6 センチ
• 高さ: 2.0 センチ
• 重さ: 20.2 g

ルネサンスの金細工師ベンヴェヌート・チェッリーニの時代には、ニエロはほとんど忘れられた技法となっており、自分で過去の作品から学んだという。

その際に彼は、
「銀1、銅2、鉛3、手のひら半分の硫黄」
という比率を考え出した。
また、加熱の方法なども細かく書き記した物が残っている。

この他にも色々なニエロのレシピが残っているが、ローマ時代のプリニウスの製法には鉛がなく、それ以後は必ず鉛が使われているので、ローマ時代以前のニエロには鉛が使われていなかった可能性がある。

20世紀初頭の「銀細工と宝飾品」で、H. Wilson は、現代に伝わる様々なニエロの製法を試したが、チェッリーニの製法は「作れるが、非常に難しい」としている。

ちなみに、地金を彫らないで、上にニエロで描いているだけの物もニエロと呼んでいることがあるが、耐久性は低い。


ページトップ

Free Call 0120 974 384 年中無休。平日 AM 10:00 - PM 11:00 、土日 AM 11:00 - PM 11:00。携帯電話もOK