《ライオンと戦うギルガメシュ》

ギルガメシュ
ライオンと戦うギルガメシュ
ギルガメシュ ギルガメシュ ギルガメシュ
古代の円筒形印象を粘土板に押した画像 楔形文字でギルガメシュ叙事詩の一部が刻まれた粘土板  シュメール
アッシリアの王サルゴン2世が建設した都市
のサルゴン2世宮殿に残されたライオンを捕獲したギルガメシュのレリーフ(ルーブル美術館)

ササン朝ペルシャ インタリオ シール 粘土に押した画像
古代ペルシャ インタリオ 実物大1 実物大2 実物大 実物大3
100円玉サイズ ↑実物大
ブラウザによって大きさが違います。青い○に100円玉を置いて100円玉の方が大きければ実物より小さいということです。

『ライオンと戦う王ギルガメシュ
インタリオ(シール)
古代ペルシャ(ササン朝) 3世紀〜6世紀
ベージュ・カルセドニー
2.7cm×2.4cm×2cm  
重量20g
Sold
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『ライオンと戦うギルガメシュ王』を彫ったササン朝ペルシャのインタリオは、古代ローマのインタリオとはひと味違う、シュメールの円筒形印象のインタリオを思わせますし、この力感溢れる彫りは古代のロマンを感じさせるものです!

古代ローマのインタリオは二世紀後半からの帝国の衰退と、一神教のキリスト教の普及により、衰退して姿を消してゆくのですが、ササン朝ペルシャのインタリオは『ライオンと戦う王ギルガメシュ』のような古代人のパワーを感じさせる生き生きとした素晴らしいインタリオが作られていたのです!!

古代ローマ帝国崩壊後、ヨーロッパは暗黒の中世と呼ばれましたが、イスラム教の国々は隆盛を誇り、高い文化を感じさせる優れた工芸品が数多く作られたのです!!

僕は30年前ににストックホルムの王立美術館で見たイスラミックアートを見て感動したことを思い出します。洗練された実に美しい陶磁器やガラス器は、今でも目に焼き付いています!

ギルガメシュは(Gilgamesh、在位:紀元前2600年頃?)は、古代メソポタミア、シュメール初期王朝時代のウルク第1王朝の伝説的な王で、数多くの神話や叙事詩に登場します。
(この王は実在の人物であったと考えられています)

ギルガメシュはギルガメシュ叙事詩として数千年前からの有名なモチーフで、ヘラクレスの神話もギルガメシュ叙事詩から生まれています。

このシールに使われている石はベージュ・カルセドニーで珍しい石ですし、『ライオンと戦う王ギルガメシュ』のような複雑な構図の大型のインタリオを彫ってあること、金のチェーンで下げるための大きな穴を開けていることから、貴族などの可成り身分の高い人物が作らせた物だと思われます!

半球状のシールは、ササン朝ペルシャ独特の物ですが、ササン朝時代にアケメネス朝のス
タイルがリバイバルしていたため、彫りはアケメネス朝のスタイルです。

穴とインタリオ部分の距離が近いのは、インタリオを彫り直したためか、後にインタリオのモチーフを変える為に石をカットして彫り直したと思われますが、これはモチーフを彫る事よりも、穴を貫通させる方が難しかった為です!

これほど高級なシールではない物の場合は、穴がもっと小さいものですが、それは金のチェーンではなく、紐を通して使ったからです。

アゲートのような固い石で、これだけ厚みのある物に穴を貫通させるのは、ダイヤモンドの粉末を使ったドリルが無かった時代には、何日もかかるような大変な作業だったのです!

宝石に穴を開けるのは、現代の高性能な電動ドリルを使っても、ルビーなどの固い石に穴を貫通させるのに10時間も掛かるぐらい大変な作業なのです。

このシールのような古代の石を使った物で穴が貫通している物は、穴の開け方でイミテーションかどうかが解る場合もあるのです。

このシールは、インタリオの部分を板状にカットしてペンダントに作り直しても楽しんで頂けます。加工代は見積もりを出しますが、22Kで7万円から8万円ぐらいで出来ると思います。

インタリオの詳しい説明は《知られざるインタリオ》でご覧下さい。



シュメール 円筒形 印象(シリンダーシール)
シュメール シリンダーシール(円筒形 印象)大英博物館蔵
全体像
ササン朝ペルシャ シール 穴 ササン朝ペルシャ シール 穴
金のチェーンで下げるための大きな穴を開けていることから、貴族などの可成り身分の高い人物が作らせた物だと思われます!

拡大1
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エンペラー、バレリアヌスに恥をかかせるShapur Iのカメオ。ササン朝ペルシャ AD230 提供:Wikipedia
薄い多層のアゲートを巧みに活かしたカメオ。縁をカットして石の特徴を活かしている。
ササン朝ペルシャ インタリオ ササン朝ペルシャ インタリオ 提供:Wikipedia
ササン朝ペルシャ 銀器 雄ジカにまたがり鹿を狩る王(Shapur II)を打ち出したシルバーギルトの食器。


ササン朝ペルシャ  提供:Wikipedia

資料2 ササン朝では美術・工芸が独自の発達を遂げました。

ペルシア固有の技法にギリシア・インドの要素を加えた銀器、青銅器、ガラス器、陶器、毛織物、絹織物などのササン朝美術はシルク・ロードを通じて東方に伝えられました。

ササン朝美術は南北朝・隋・唐の中国を経て、飛鳥・奈良時代の日本にまで伝来し、法隆寺の獅子狩文錦、正倉院御物の漆胡瓶、白瑠璃碗などはその代表例としてよく知られています。


女性の上半身を打ち出したボウル
シルバー
4世紀前半
このボウル上の5つの人物象の中で描写された女性は、彼女がキングNarsehの時のSassanian王室のクイーンだったかもしれないことを示唆するヘアスタイルをです。提供:Wikipedia

資料
↑ホスロー1世の狩猟図を描いた銀盤
提供:Wikipedia
資料3 資料5
ササン朝ペルシャ ガラスのボウル
7世紀の剣
提供:Wikipedia
ササン朝ペルシャ6世紀のガラスのボウル
大英博物館蔵
資料4 Ardeshir Babakan(Firouzabad(イラン)のSasanid王朝の創立者の宮殿。

提供:Wikipedia
資料 資料 資料
降服するウァレリアヌス帝らと騎乗のシャープール1世。ナグシェ・ロスタムの磨崖像より

提供:Wikipedia
ナグシェ・ロスタムの「ゾロアスターのカアバ」en:Ka'ba-i Zartosht と呼ばれる遺跡。建物自体の用途は不明だが、下部の壁面にカルティールによって書かれた長大なパフラヴィー語碑文がある。

提供:Wikipedia
ササン朝のコイン
提供:Wikipedia


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