古代エジプトでは、お守り(アミュレット、護符)、ギリシアでは、宝石をスカラベの形に研磨して、平らな部分をシールとして使用した。 
        スカラベは古代エジプトで人気のあるお守り。それらは、大量に残っており、それらに彫り込んである像や、形式は、考古学者や古代世界の歴史家にとって重要な情報源となっている。 
        理由は不明だが、(エジプトの神ケプリと宗教的に深く関わっていることは疑いの無いことであるが)、スカラベ(コガネムシの一種)の昆虫の形のお守りは、中王国(紀元前2000年)の始めまでには 
          大変な人気となっており、残りのファラオが君臨した時代とそれ以降も人気は衰えなかった。 
          この長期間の間に、スカラベの役割は幾度も変化した。初期に、アミュレット(お守り)に彫りを入れて、個人的もしくは行政で通用する印鑑として作られたのだが、ジュエリーの仲間入りをした。 
          スカラベの中には、明らかに、王族の業績を記念したり宣伝する為の、政治的もしくは外交的な目的で作られたものもあった。 
          新王国の初期までには、ハート・スカラベがミイラを守る為のお守りを構成する一部となった。 
        青銅時代中期からは、地中海や中東の他の古代の民族はエジプトからスカラベを輸入し、また、エジプトや自分達の様式(とくにレバント)で生産もした。 
        解説: 
        スカラベは、何世紀にも渡って大量に作られたので、数千個が残っている。 
          それらは一般的には生きている人間に持たれ、身に着けられるための物であった。 
          それらは、典型的には、彫刻か、鋳造によって、スカラベの昆虫の形になり、(通常は、ヒジリコガネムシとされる)、 
          写実的な度合いもいろいろであるが、通常は最低でも、頭部、羽を収める部分、足があるのだが、底は平らである。 
        底は、通常は模様やヒエログリフが彫られており、印章になっている。 
          スカラベは、通常は、端から端まで穴が開けてあり、紐に下げたり、スイベル・リングにできるようにしてあった。 
          スカラベの最も一般的な大きさはの範囲は、6ミリから4センチ(長さ)で、ほとんどが、1センチから2センチの長さである。 
          大きなスカラベもときどき特殊な用途で作製されたが、(アメンホテプ三世の記念スカラベ) 
        http://en.wikipedia.org/wiki/Commemorative_scarabs_of_Amenhotep_III 
        ハート・スカラベ(典型的には、5センチから9センチ、暗い色のハードストーンでできており、吊り下げる為の穴がない)は、特別な葬儀の目的で作られており、別に分けて考慮されるべきだ。 
        スカラベは一般的に石を彫刻するか、エジプトのファイアンス(陶器)を型にいれて作られる。 
          彫刻された後は、ブルーかグリーンの釉薬がかけられて、焼かれる。 
          スカラベにもっとも多く使われた石はスティアタイトで、柔らかい石だが、焼き締めて堅くなる。(エンスティタイトに変化する)。 
          ハードストーンのスカラベも作られていて、最もよく使われた石は、グリーンジャスパー、アメジスト、コーネリアンであった。 
        ほとんどのスカラベは緑や青の釉薬を使われいたはずだが、退色したり、失われているので、ほとんどのスティタイトのスカラベは、白や茶色の状態で見つかる。 
        【昆虫としてのスカラベの宗教的意義】 
        古代エジプトの宗教では、太陽神ラーは空を毎日周回し、身体と魂を変化させた。 
          コガネムシ科の昆虫(糞虫)は、糞を球状に丸めて、食用とし、後に幼虫へと変化する卵を産んで孵化させる場所として使う。 
          これらの理由から、スカラベは、天の周期運動の象徴、再生や復活のイデアの表象として見られた。 
          エジプトの神ケプリ、(日の出としてはラー)、はスカラベの昆虫か、スカラベの昆虫の頭をした人の姿としてよく描かれる。 
          古代エジプトの人々は、ケプリは水平線に表れて周回する前の太陽を毎日新しくし、日没後はそれを別の世界へと送り、そして次の日に結局は再生させる。 
        【歴史的発展】 
        エジプト第一中間期(2055BC)の終わりまでには、スカラベは、大変に普及した。 
          それらは、単純な幾何学模様の円筒印章(シリンダーシール)と丸い「ボタンシール」に大きく取って変わった。 
          それらが作られた時代を通して、スカラベはファラオや他の王族の名前を彫られたものが多い。 
          中王国では、スカラベには役人の名前と肩書きが入れられた物は少なくなり、神の名や短い祈りやモットー(後ろにラーがついている、恐れることはない。)が 
          さらに人気となる。これらの wish (願い)のスカラベは、翻訳するのが難しいものが多い。 
        【記念のスカラベ】 
        アメンホテプ3世(アクナテンの直後の後継者)は、記念スカラベを制作させたことで有名である。 
          これらは、大きく(ほとんどが、3.5センチから10センチ長)、ステアタイトで出来ていた。 
          それらは、美しく作られたスカラベで、明らかに、王の監督もしくは管理の下で作られ、彼の治世で重要な5つの出来事(全てが彼の妃ティイのことについて触れている)のうちの一つを長々と記述している。 
          200以上の実物が残っており、発見場所から、エジプトの外交的な活動を支援する目的で、王の贈り物や宣伝活動として送り出されたことを示している。 
          これらの大きなスカラベは作られ続け、トトメス3世の時代に、主要な辞寺院にオベリスクを建てたというような、特定の王の業績を称えた第18王朝の初期の伝統に発展した。 
          この伝統は、後に、第25王朝に復活して数百年続いた。クシュのファラオ、シャバカ(721−707BC)が彼の勝利を記念して、アメンホテプ3世の為につくられた物を模して 
          大型のスカラベを制作させた。 
        【葬儀用のスカラベ】 
        スカラベの護符は、墓に死者の持ち物やジュエリーとして一緒に埋葬されることはあったが、一般的に、古代エジプトの葬儀の宗教的な儀式とは特に関連がない。 
          しかしながら、葬儀用のスカラベには三つのタイプがある。ハートスカラベ、ペクトラル(胸の)スカラベ、写実的なスカラベ。 
        ハート(心臓)スカラベは、新王朝の初期に盛んになり、第3中間時代まで使われた。それらは大きなスカラベで(多く4cm−12cm長)         
        三番目の種類は、写実的なスカラベである。これらは、写実的で立体的な底(平でない)を持っているので、他のタイプのスカラベと区別でき、 
          多くの種類のハードストーンとファイアンスからできている。(主に2cm−3cm長) 
          横に通った、一体化した吊り輪が付いている。 
          他の材質で作られていることも多いが、これらの葬儀用スカラベは、エジプト末期王朝でミーラを守るアミュレット群の一部を後世している。 
        【王の名を持つスカラベ】 
        スカラベは、ファラオの名を彫ったものがしばしば発見されるが、まれに彼らの妃や王族の他の一員であることもある。 
          一般的には、しっかした基盤で、長く統治した王ほど、彼の名前が一つ以上刻まれたスカラベが多い。 
        ほとんどの王の名を持つスカラベは、その名が刻まれた人が生きていた時代だと無理なく特定することができる。 
          しかし、重要な例外がいくつかある。 
        古王国(クフ、カフラー、ウナスなどの有名な王で知られるような)のファラオの名を持つスカラベが見つかる。 
          現在では、これらは後の時代に作られたと考えられている。 
          かなりの可能性で、第25王朝か第26王朝の間に、過去の偉大な王の仕事を真似ることにかなりの興味があった。 
        新王国の王トトメス3世(1504−1450BC)メンケペルレ(ラーの出現が確立された)、という 
          王としての名前を持った多くのスカラベも見つかる。 
          多くのこのようなスカラベは、長く成功した偉大な戦士のファラオの治世の物もあっただろうが、多く、おそらくほとんどがそうではないだろう。 
      全てのファラオと同じように、トトメスも彼の死後、神と見なされたのである。 
      英語版 Wikipedia 
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