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2000年の時を経た黄金の指輪・・・、しかも数奇な運命であった絶世の美女、クレオパトラのインタリオリングに出会った時、僕はこの指輪に賭ける事にしたのでした! |
クレオパトラ略歴 紀元前51年、クレオパトラ7世は、父プトレマイオス12世の死去を受けて、王位(ファラオ)を継承し、エジプトの単独統治を開始した。クレオパトラ7世には、2人の姉がいたが、ともに早世・処刑などで死去したため、プトレマイオス12世の生存する子女のうち最年長であったクレオパトラ7世がファラオに即位したとされる。 プトレマイオス13世敗死後、クレオパトラ7世は別の弟プトレマイオス14世と結婚して共同統治を再開したが、カエサルとの間に情交を重ね、紀元前47年、息子カエサリオンをもうけた(カエサル父親説については異論もある)。プトレマイオス14世との共同統治は、カエサルの後ろ盾を得て成立しており、実際はカエサルの傀儡であるクレオパトラ7世による単独統治が実像であった。 フランスの哲学者ブレーズ・パスカルによれば、クレオパトラ7世がその美貌と色香でカエサルやアントニウスを翻弄したとして、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら(※正確には、短かったら 鼻参照)歴史が変わっていた」と評した。一方、古代ローマ時代の歴史家プルタルコスは、クレオパトラ7世を、複数の言語(ギリシャ語・エジプト語・シリア語・パルチア語・アラビア語・ラテン語など)に通じた政治・軍事・外交に長けた高貴で知的な女性として伝えている。ちなみに容貌については「美貌も若さもオクタウィアに適うものではなかった」と評している。 |
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