紀元前にこれほどの細工があったのに、なぜ今はないのでしょうか?

《紀元前6〜5世紀のエトルリアの今日の粒金細工と同時代の古代ギリシャ アルカイック ゴールドリング》
古代の粒金

シレヌスの顔のついたネックレスの細部。エトルリア、紀元前6〜5世紀 ナポリの国立博物館蔵
この画像では現代人の常識を越えた古代の粒金の凄さは分からないと思います!
次の拡大画像を見て初めてそのとんでもない極小の粒金に度肝を抜かれると思います!

古代の粒金 拡大

人の顔とドングリのカサの部分に肉眼では見えないほどの極めて小さな粒金(0,1mm台)がびっしりと付けられているのです!!!
19世紀の粒金も現代では出来ないハイレベルの細工ですが、紀元前の粒金は現代人の常識を捨ててしまわないと到底理解不能なほどのもの凄い細工なのです!!!

問題B

では何故紀元前にこれほどの細工が出来たのに、出来なくなっていったのは何故でしょう?

北海道のOさん

先日はお世話になりました。

必要だから技術が磨かれるのでは?

つまり、材料が金しかないなら、いかに豪華にみせたり、自慢できるものにしたり意中の女性の興味をもたせるようにするか?私ならば必死に技を編み出すでしょう。

けれど、目新しい素材が現れ、ブームになればそれをバーン!と中央に据え付けたりその大きさが価値になったり、、結果、技法が廃れたのかな?

的外れなメールですみません。

ジュエリーに使える材料が金以外では少なかった

Gen

Oさん、素晴らしい!♪ 仰るとおりです!

この粒金細工のネックレスが作られたのは紀元前6〜5世紀です。

アレキサンダー大王の東方遠征(紀元前334年)で、東方からジュエリーに使えるいろいろな半貴石が入って来る前の時代ですから、ジュエリーに使える半貴石が限られた物しかなかったので、石を使わない金細工のジュエリーが多く作られたという背景があると思います。

古代のインタリオリングでも石を彫った物が主流になるのはアレキサンダー大王の東方遠征以後です。それまでは金を彫ったインタリオの方がずっと多かったのです。

古代ギリシャ アルカイック ゴールド リング アンティークジュエリー
【王者の指輪】
アルカイック・ゴールドリング
古代ギリシャ 紀元前6世紀
(アルカイック時代)
22〜24K
サイズ 12
¥5,800,000-

※この指輪はシレヌスの顔のついたネックレス エトルリア、紀元前6〜5世紀 ナポリの国立博物館蔵と同年代の指輪です!

※この指輪も当然、古代ギリシャのゴールドジュエリーを収蔵している美術館に収蔵されているべき貴重な作品なのです!!

歴史を覆す世紀の大発見と言われた「ユダの福音書」に関わった、古代美術商フリーダ・チャコス氏のプライベート・コレクションだった指輪です!

※これが金のインタリオです。

金はとても加工しやすい性質

それに金はとても加工しやすい性質があり、簡単な道具があればどんな細工も可能なので、これだけの粒金細工が出来たのです。
だから現代のような高性能の機械や道具がなくても細工が出来たのです。

高性能の機械や道具は人間の能力を低下させる

レーザー溶接機はもちろんバーナーさえもなかった時代は、今よりも人間の能力が高かった筈です。
人間は一度便利な機械や道具を使うと、それに頼ってしまい肝心の手で作業する能力が落ちてゆくものです。

バーナーの代わりに使っていた、たぶん足踏み式の鞴(ふいご)の方が微妙な温度調節が出来たのかも知れません。
直径が0,1mm台の極小の粒金を付ける特別の技法があった可能性もあります。

人間のパワーが違う

自然の中で生きていた人たちですし、医療技術もなかった時代ではどんな人もいつ死んでも不思議ではない状態で、現代人には考えられない強い精神力を持っていた筈です。

金は持って歩ける重要な財産

紛争や戦争に明け暮れていた時代は、ゴールドジュエリーは唯一の身につけて移動出来る財産です。

金細工は権力を誇示するためでもあった

権力者にとってはゴールドジュエリーは権力の象徴でもあり、その力を誇示する為にただの単純なゴールドネックレスよりも、華麗な装飾しかも作るのが難しい細工がしてある物を好んだではないかと僕は思っています!

高価な宝石の代わりが難しい金細工だったかも知れません。

近代とはジュエリーの意味が違う

ジュエリーが主に女性の身を飾る物になったのは、フランス革命以後で、それ以前、特に古代に於いては女性よりもむしろ男性が権威のシンボルやお守りなどとしての意味のあるジュエリーだったのです。

ローマの美術館にエトルリア人が作った夫婦と思われる男女の横たわる石像が残っており、男女平等の考えを持つ稀な民族だったので、他の民族よりは女性もゴールドネックレスなどを大いに付けていた可能性があります。

参考画像 『夫婦の陶棺』
紀元前520年頃
ローマ、ヴィラ・ジュリア・エトルスコ国立博物館所蔵

何故エトルリアの金細工が伝承されなかったか

エトルリアは紀元前8世紀から紀元前1世紀頃にイタリア半島中部にあった都市国家群で、古代ギリシアとは異なる独自の文化を持っていました。当時としては高い建築技術と金細工の技術を持っていたのです。

紀元前4世紀頃からローマの勢力が強くなると、周辺の都市から少しずつローマに併合され、最終的には完全にローマに同化していったので、美術にも影響を及ぼしたと言われています。

当然あの素晴らしい金細工もローマ人の好みとは違っていたので姿を消していったのです。

昔、カレッジのジュエリーのクラスで技法を習いましたが、sodaling? 純度の違う金銀を溶かしてのせる作業は大変。
アセチレンバーナーを使うので、本体もすぐ溶けてしまったり、、、
アンティークで小さな粒をのせるのにはどんな熱源を用いたのか、凄く気になります。

足踏み式の鞴(ふいご)ならかえって微妙な温度調節が出来たのかも知れません。

大学の一般教養で普通にとるクラスでしたから、大したことはやらないですが、pownding?たたいたり、穴を使い線を作るなど、楽しくて貴重な体験でした。
宝石屋でルースを買い、質屋で指輪などを金として買い、溶かし作る、、

それは楽しかったでしょうね♪

大学は一般にも開放されてるので、8人いた生徒のなかにはトラック運転手おじさんなどもいて、シルバーのバングルを熱心に作っていました。

日本では、なかなか製作を気軽に楽しめる場がないのが残念。

日本だと社会人が勉強したり習い事をする場所が少ないんでしょうかね。
企業に勤めていると時間の余裕もないようだし・・。

また、参加します。

コメントを書くのが遅れてしまってすみませんでした。
またぜひ参加してくださ〜い(・_・)(._.)
(貯金もします(笑)

良いですね〜(^_^)
ぜひぜひ頑張ってください(笑)


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